« 元和期天守(徳川大坂城) | メイン | 被毛は品種により、さまざまな毛色や毛質のパターンを持つ »

助六が花道から出る時の伴奏音楽を

助六が花道から出る時の伴奏音楽を「出端の唄」という。初演時および初期の興行の多くでは代々の江戸半太夫とその弟子たちがこの詩章を語った。その後現在に至るまで最も多くの興行でこれを勤めているのは代々の十寸見河東とその弟子たち、いわゆる「河東節連中」(かとうぶし れんじゅう)である。

河東節を専業で行う者は今も昔も非常に少ないため、『助六』が上演されるときは、かつては蔵前の旦那衆が、そして今日では「十寸見会」(ますみ かい)という愛好会に所属する素人の語り手たちが、交代でこれを勤めることになっている。ただしここでいう素人とは本職が別にあるという意味で、その技量は玄人はだしであることはいうまでもない。

この河東節は、七代目團十郎が成田屋 市川團十郎家の専売特許扱いにしてしまったため、以来他家が『助六』を上演するときは成田屋に遠慮して、「出端の唄」は長唄・常磐津・清元などに代えて行うことが決まり事になっている

『助六』の成立とその変遷の背景には、歴代の市川團十郎が密接に関わっている。『助六』が歌舞伎十八番では常に第一にあげられ、上演回数では群を抜いて最多、その上演時間も最も長いという、特別なものとなっているのもただの偶然ではない。

成立期 [編集]
いわゆる「曾我もの」の一つとして演じられていた時代の主な上演演目:
クラシック音楽
南極と北極
への付く言葉
ザ・和歌山
産業とは!
世界の演劇
慣用句集
かの付く言葉
七五三
靴に囲まれて
自転車
婦人科
香道
遺伝子疾患
洞窟
ジョギング
債券
クリケット
通訳
アメリカンフットボール

『花館愛護櫻』(はなやかた あいごの さくら)

上演:正徳3年 (1713)、山村座
助六:二代目市川團十郎
詞章:半太夫節(江戸半太夫)
備考:これが江戸での初演。今日のものよりも荒事の味がもっと強かったという。これを契機に二代目團十郎は曾我兄弟崇拝を始める。
『式例和曾我』(しきれい やわらぎ そが)

上演:正徳6年 (1716)、中村座
助六:二代目團十郎
詞章:半太夫節(江戸吉太夫)
備考:この作品で『助六』は当時時江戸で大人気だった「曾我もの」の中に取り込まれ、以後はこれが踏襲される。「花戸川助六実ハ曾我五郎時致」という設定もこのときから。詞章の江戸吉大夫は江戸半太夫の高弟である。
『英分身曾我』(はなぶさ ぶんしん そが)

上演:享保18年 (1733)、市村座
助六:四代目市村竹之丞
詞章:河東節(十寸見河東)
備考:この上演から河東節を使うようになり、このときの「出端の唄」の曲名が「所縁江戸櫻」(ゆかりの えどざくら)だった。この唄はこれ以後、四代目市村竹之丞改め八代目市村羽左衛門が座元として所有するこの市村座で助六を演じるときのみにしか使われないようになる。これが歴代の市村羽左衛門にも継承され、河東節「所縁江戸櫻」は70年以上にわたって羽左衛門占有の曲となった。(なお現在は「所縁」を「由縁」と書く。)
『初鬙通曾我』(はつもとゆい とおし そが)

上演:元文4年 (1739) 市村座
助六:三代目市川團十郎
詞章:長唄(松島庄五郎)
備考:團十郎の助六で長唄を使った珍しい例。
『聞昔曾我物語』(むかしに きく そが ものがたり)

上演:延享3年 (1746)、市村座
助六:初代尾上菊五郎
詞章:豊後節(宮古路文字太夫)
『男文字曾我物語』(おとこもじ そが ものがたり)

上演:寛延2年 (1749)、中村座
助六:二代目市川海老蔵(二代目團十郎)
詞章:河東節(十寸見河東)。
備考:「人間五十年」の時代、不惑の歳を迎えた役者は隠居するのが常だったが、この年61歳になった二代目海老蔵(二代目團十郎)は33年ぶりに若衆の助六を演じた。この興行で衣装の拵えが「二重の小袖に紅裏、浅葱無垢の下着を一つ前、紫縮緬の鉢巻、腰に一つ印籠と鮫鞘」という、ほぼ現在のかたちに整う。これは二代目と親交のあった蔵前の札差・大口屋暁雨の出で立ちをモデルにしたもの、という噂がこの頃から広まる。
『江戸紫根元曾我』(えどむらさき こんげん そが)

上演:宝暦11年 (1761)、市村座
助六:市村亀蔵
詞章:河東節(十寸見河東)
備考:この頃までに江戸では「花戸川助六は大口屋暁雨」という構図が定説になっていた。助六の鉢巻きが大口屋が好んだという江戸紫に染め直されたのも本作から。なおこのとき市村座座元の市村亀蔵(後の九代目羽左衛門)が河東節「所縁江戸櫻」を使ったのを最後に、以後はこれがもっぱら歴代の市川團十郎によって使われるようになる。
『重重歌曾我』(かさねがさね うたの そが)

上演:天明5年 (1785)、桐座
助六:女助六ほか五役を三代目瀬川菊之丞が早替わりで勤めた。
備考:これがいわゆる「女助六もの」の嚆矢。
『御江戸花賑曾我』(おえどの はなにぎわい そが)

上演:文化2年 (1806)、河原崎座
助六:初代市川男女蔵
詞章:河東節(十寸見河東)
備考:助六を市村羽左衛門と市川團十郎以外の役者が演じた舞台で河東節「所縁江戸櫻」が使われた唯一の例。六代目市川團十郎七回忌追善興行の演目として上演されたため。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.aozora2000.net/blog/mt-tb.cgi/4593

About

2009年06月17日 06:49に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「元和期天守(徳川大坂城) 」です。

次の投稿は「被毛は品種により、さまざまな毛色や毛質のパターンを持つ」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35